『スーパーマン』の誕生

大島良行

  1935年のクリーヴランドは不況に苦しんでいた。製鉄と鉄工業のこの都市の煙突は煙を吐かず、街には無料の給食にありつこうとする失業者の列ができていた。1932年に新大統領フランクリン・ローズベルトがニューディール政策を携えて登場したが、彼のいう完全雇用はおろか、失業者が減る様子さえもあまりみえなかった。路地裏には貧困がしみついていた。しかし、ユークリッド・アヴェニューだけは豪邸が立ち並び、不況など知らないようであった。そこだけがアメリカン・ドリームを具現しているように見えた。
この不況下の年のグレンヴィル・ハイスクール (Grenville High School)に、アメリカン・ドリームを抱く少年がいた。彼は小柄で体力もなく、男らしさと逞しさを誇りとする他の少年には、運動ではかなわなかった。彼ジュリー・シーゲル (Jerry Siegel)は聖書や小説や偉人伝を愛読したことでも、他の少年と異なっていた。しかし、映画が好きな点では他の少年と同様だった。ハリウッド製の西部劇の英雄やターザンに親しんだ。映画『キッド』Kid (1926、ファースト・ナショナル)や『黄金狂時代』The Gold Rush (1926、ユナイテッド・アーチスト)のチャーリー・チャップリン (Charlie Chaplin)や、1928年にトーキー短編映画「蒸気船ウィーリー号」"Steamboat Willie"で人気を得たウォルト・ディズニー (Walt Disney)作のミッキー・マウス (Mickey Mouse)に引かれた。彼の父親は洋服生地屋だった。同級生に仕立て屋の息子で絵が上手な少年ジョー・シャスター (Joe Shuster)がいた。ジョーはジェリーの指示どおり絵を描いた。ヘラクレス、アポロ、サムソンなど神話や伝説の人物のほかに、アメリカの伝説上の人物ポール・バニアン (Paul Bunyan)や鉄鋼の町らしい伝説の人物ジョー・マガラック (Joe Magarac)も彼らの頭に浮かんだ。このほか、実在したディヴィ・クロケット (Davy Crockett)やマイク・フィンク (Mike Fink)などの絵も描き、それに架空の人物ターザンやローン・レンジャー (Lone Ranger)も加えて合成した。こうして出来上がったのが『スーパーマン』の姿だった。
"Faster than a speeding bullet, more powerful than a locomotive, able to leap tall buildings at a single bound. Look! Up in the sky! Is it a bird? Is it a plane? It's Superman!!"
「弾丸よりも速く、機関車よりも力があり、ひと飛びで高層ビルを飛び越せる、見てごらん! あの空を! 鳥かしら? 飛行機かしら?あれがスーパーマン!!」
これがラジオやテレビで放送されるときのナレーションである。
ターザンは裸であるが、実は貴族グレーストーク卿 (Lord Greystork)である。ローン・レンジャーは仮面をつけて拳銃を持って馬に乗る。ロビン・フッドのアメリカ版ゾロ (Zorro)も仮面を付けて剣を持って馬に乗る。おまけにこのジョンストン・マッカリー (Johnston McCulley)作『怪傑ゾロ』 Mark of Zorroの主人公は大地主で、黒いマントを着ている。そのどれもが作者の少年たちには気に入らなかった。彼らの設定した男のイメージに合わなかった。彼らはスーパーマンを『明日の男』"Man of Tomorrow,"『鋼鉄の男』"Man of Steel,"『布地の男』"Man of Cloth"にすることに決めた。


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