書籍紹介 会報86号(平成23年2月15日付)より転載

曽村充利著『釣り師と文学』
(聖公会出版、2010年)xviii + 624 pp.


山根正弘



 わが国では釣り人のバイブルとして知られる『釣魚大全』の作者アイザック・ウォルトンの本格的な研究書がようやく出版された。「ようやく」というのは、これまで日本の英文学では、ウォルトン研究は釣り文学の側面が強調されるのみで、英国国教会の聖職者4人と俗人ひとりを扱った『伝記集』全体に焦点が当たること皆無に等しかったからである。

 『釣魚大全』の邦訳は数知れず。だが、単行本として日本語で読める伝記集は、同じ著者による『ジョン・ダン博士の生涯』(こびあん書房、1993年)があるのみ。神学者リチャード・フッカーや詩人で田舎牧師のジョージ・ハーバートの伝記も邦訳が待たれる。翻訳はさておき、今回、研究対象として、釣り文学と伝記集の両面が取り上げられ、ウォルトン本来の姿が現れる形となった。本書は現在のところ、これまでの欠落を補う唯一の研究書であろう。

 著者は17世紀イギリス形而上派の詩人ジョン・ダンに魅せられ、詩人にして高位聖職者のダン伝を著したウォルトンへと興味の対象を移し、ウォルトンと当時の知的サロン、2代目フォークランド子爵ルーシアス・ケアリーの庇護を受け宗教的寛容を旨とするグレイト・テュー・サークルとの人脈的な関連および思想的な影響を吟味する。本書によると、サークルの名前の由来となったオクスフォード近郊にある子爵の屋敷で、同じ主義主張を抱く諸家、思想家ウィリアム・チリングワースや政治家で歴史家のクラレンドン伯エドワード・ハイドなど、かれらの思想・信条が、とりもなおさずイギリス保守主義の淵源であるという。

 内乱前後のイギリス文学を論じる際、政治・宗教・科学など様々な分野に目配せが必要であることは言うまでもないが、著者は歴史、特に聖域たる教会史に足を踏み入れ、その脈絡の中で王党派の旗色鮮明なウォルトンの国教会擁護の姿勢を明らかにする。その結果、一見したところ、牧歌的な河畔で瞑想にふける釣りの指南役が、様々な文学ジャンルを駆使しながらサークルの中心となる考え方のひとつ中道思想を曖昧模糊に隠して見事に創作―文学作品を著したことが判る。『釣魚大全』は現実逃避の書ではなく、動乱の時代に神学論争を避け「平静たらんと努める」行動の書と解釈される。また、『伝記集』も単に懐古的な聖人伝の様相を廃して、内乱で意気阻喪した国教会の聖職者を励ます現実的な意図やプロパガンダが浮かび上がる。

 スペースがないので、いやかえってあればますます、地道な研究成果を踏まえた労作をまえにして、その内容を簡潔・的確に叙述するなど私には至難の業であり、最後に一言。日本におけるウォルトン理解の地平が変わった、と。









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