大会担当理事よりのお知らせ

第34回英米文化学会大会要項

・目次
  大会日時・場所
  第1日目大会プログラム
  第2日目大会プログラム
  抄録

英米文化学会
第34回大会


平成28年9月10日(土)・11日(日)
常葉大学富士キャンパス 2号館4階2428大講義室
〒417-0801 静岡県富士市大渕325

常葉大学富士キャンパスに関しては、公式サイトをご参照ください。


<宿泊> 交通機関と宿泊についてはこちらのページをご参照ください。

第1日目 9月10日(土)
受付開始  <13:00>

開会の辞 <13:30-13:40> 英米文化学会会長 曽村 充利 (法政大学)

研究発表 <13:40-15:50>
I. トクピジン版・新約聖書に見られる独自性
<13:40-14:10> 発表者 黒澤 毅 (立教大学アジア地域研究所)
司会者 大東 真理 (帝京平成大学)

II. イーディス・ウォートンの「カーフォル」における語り手の意味
<14:10-14:40>  発表者 西垣 有夏 (京都学園大学)
司会者 河内 裕二 (明星大学)

III. ラフカディオ・ハーンのイギリス時代再考
<14:40-15:10>  発表者 那須野 絢子 (焼津小泉八雲記念館)
司会者 永田 喜文 (法政大学)

休憩 <15:10-15:30>

IV. 分科会報告 <15:30-16:10>  検閲と発禁を考える−英米文学を中心に−
司会者・発表者 市川仁 (中央学院大学)
発表者 中林正身 (相模女子大学)、小田井勝彦 (専修大学)

休憩 <16:10-16:20>

基調講演 <16:20-17:20> リメディアルクラスの英語教育 小野 昌 (英米文化学会前会長)

懇親会 <18:00-20:00> リストランテイタリアーノ Campana アパホテル(<富士中央>内)



第2日目 9月11日(日)
受付開始  <9:00>

V. 低学力層へのCLTアプローチと英語力の向上
<9:20-9:50> 発表者 釘田 奈央子 (日本大学大学院)・市園 なお子 (日本大学大学院)
司会者 田嶋 倫雄 (日本大学)

VI. ブレイク作品にみる「植物的成長」
<9:50-10:20> 発表者 中山 文 (近畿大学)
司会者 佐藤 由美 (常葉大学)

VII. ベン・ジョンソンの『錬金術師』にみられるhumourの意味と用法
<10:20-10:50> 発表者 石川 英司 (日本大学)
司会者 長谷川 千春 (大東文化大学)

休憩 <10:50-11:10>
ワークショップ <11:10-12:40> 文学における植物をどう読むか−アメリカ・イギリス・カナダ文学と象徴−
司会者・発表者 塚田英博 (日本大学)
発表者  君塚淳一 (茨城大学)、田中浩司 (防衛大学校)、石塚倫子 (東京家政大学)、 佐野潤一郎(環太平洋大学)、間山伸 (日本大学)

閉会の辞 <12:40-12:50> 副会長 君塚 淳一 (茨城大学)

当日会費:500円(非学会員) 懇親会費 5000円




英米文化学会第34大会抄録



トクピシン版・新約聖書に見られる独自性

黒澤 毅 (立教大学アジア地域研究所)

 パプアニューギニアは、国民の90%以上がキリスト教徒であり、太平洋島嶼部において、最大のキリスト教国家として知られている。この要因の1つに、英語で出版された聖書がトクピシンに翻訳され、普及したことにある。その内容は、西洋文化を知らないパプアニューギニア人にも理解できるように、テキストの構造や内容的意味の同一性を意識しながら、抽象的難解さをできるだけ排除し、文体や語彙の選択に配慮が見られる。本発表は、翻訳の際、基礎となったKing James VersionとGood News Bibleを参照しながら、それぞれの聖書で使用されている能動・受動的表現や比喩表現の分析を行い、また語彙の使用量の変化や共起性の比較を行う。この2つの視点から、テキストの内容の同一性を保ちながら、西洋文化が持つ概念をどのようにパプアニューギニア文化の中へ組み入れ、また解釈ができるように文体や語彙の選択を行っているのかという点について論じる。




イーディス・ウォートンの「カーフォル」における語り手の役割

西垣 有夏(京都学園大学)

 本作品の語り手についての描写は曖昧である。独身男性と思われる語り手は、作品の冒頭で一度も訪問をしたことのないカーフォルという屋敷の購入を知人から唐突に勧められたことでカーフォルの存在を知る。土地勘がないにもかかわらず、カーフォルを単独訪問し、積極的に散策する様子は語り手の好奇心旺盛さを思わせる。だが、語り手がカーフォルを訪問したその日に1600年代にあった当時のカーフォルの主、イーヴ・ド・コルノーの謎の死で殺人容疑にかけられたアンヌ・ド・コルノーの裁判記録にまで興味を持つようになるという筋書きには無理があるが、そこには語り手とカーフォルとの強い因縁さえ感じられる。この作品は、語り手がこの裁判記録を読者に述べるのが主節だが、そこに語り手の曖昧性は欠かせない。本発表では語り手の語りによる裁判記録を分析しながら、語り手がその記録を語る意味を追求していく。




ラフカディオ・ハーンのイギリス時代再考

那須野 絢子(焼津小泉八雲記念館)

 ラフカディオ・ハーン文学は、著者ハーンの複雑な生い立ちと、そこから生まれたコスモポリタン的感覚が強く作用し、成り立っている。そのため、生誕地ギリシアや幼年期を過ごしたアイルランドとの関わりに関しては多くの先行研究があり、両者の結び付は確固たるものとなっている。しかし、少年時代の6年間を過ごし、日本に帰化する以前の国籍であったイギリスとの結び付はこれまでほとんど提唱されていない。
 これは、イギリス時代が、ハーンにとって深い傷を負った悲しみの時代であったからだと推測できる。しかし、「悲しみ」の感情とは、ハーン文学の根底に根付くものであり、ゆえにイギリスでの体験が、彼自身の文学活動に何らかの影響を与えたことも考えられる。今大会では、ハーンのイギリスでのゆかりの地を実施調査して得た資料をもとに、これまで顧みられることの少なかったハーンのイギリス時代を再考するとともに、具体的な作品をいくつか取り上げて、イギリス時代がハーン文学に与えた影響を考察する。



分科会報告

「検閲と発禁を考える−英米文学を中心に−」


市川仁(中央学院大学)、中林正身(相模女子大学)、小田井勝彦(専修大学)

 本書は全四部八章から構成され、英米における検閲と発禁の問題を、歴史的・文学的見地から考察したものである。第一部では英国の検閲と発禁の歴史的流れを概観し、さらに英国に初めて成立した猥褻取締りの法律の成立過程を追った。第二部においては、17-8世紀における演劇の上演と思想・情報統制、識字率の上昇と思想統制の問題を扱った。第三部ではロレンスの作品とジョイスの作品を取り上げてその猥褻性と芸術の問題を検証し、第四部ではアメリカのコムストック法を中心に不道徳排斥運動の歴史と二重基準の欺瞞性を追い、最後にチャップリンを取り上げてアメリカの思想統制の歴史を追った。「検閲と発禁」というテーマは非常に巨大なものであるので、以上のような様々な観点から論じることで、このテーマにおける研究の多様な入り口を示すとともに、さらなる研究を重ねる出発点でもあると考えている。



基調講演


リメディアルクラスの英語教育

小野 昌(英米文化学会前会長)

 AO入試、推薦入試などで入学する学生の増加にともない、入試で英語を受験せずに入学する学生の数は年々増加している。しかし英語を必修科目としている大学も多く、進級・卒業に支障をきたしている。そこで英語リメディアルクラスを設置してなんとか対応しようとしているが、高等学校1年生程度の英語力も怪しい大学生をどのように教育し、英語力を少しでも身に着けて卒業させるかに苦慮している。
 このような学生に共通する特徴は、中学・高等学校を通じて英語という科目に強いコンプレックスをもっていることであろう。そこでとりあえずこのクラスの英語なら少しは分かる、あるいは分かるようになるかもしれないという希望をもたせることが大切ではないだろうか。そのためには思い切って教材を中学生程度のレベルにまで下げる必要があるだろう。さらに英文をセンスグループに区切り、縦に並べてみると、同じ英文が驚くほど平易な文章に見えてきて、理解の程度も深まるようだ。授業が進むにつれて難易度をあげていき、理解度が進むにつれて、縦から横へと普通の英文の形へ近づけていく。最終的には意味のまとまりを学生自身が自分で分けられるようにする。また教材は一回の授業で終わる長さのものが望ましい。出席率が良くない学生たちは、出席しても話の途中では興味が半減してしまうからである。
 文法は体系的に教えようとせず、その都度必要に応じて、重要度の高いものから重点的におさえていく必要がある。文法用語の使用は極力避ける。基本5文系など無理に教えようとすると、拒否反応を起こすことが多い。目的語と補語のちがいがどうしても理解できない学生がでてくる。
 クラスのサイズにもよるが、一人の学生に多くの時間を割くのではなく、出来るだけ出席した学生すべてに発表の機会があるように配慮したい。
 試験の範囲は極力少なく、試験の回数は多くというのが基本で、面倒でも再試験は必ず実施する必要がある。教員は学生の敵ではなく、何とかして英語力をつけて、単位をあげたいのだという気持ちが伝わるような授業をしたいものである。



低学力層へのCLTアプローチと英語力の向上

釘田 奈央子・市園 なお子(日本大学大学院)

 本発表は、Communicative Language Teaching(CLT)を用いた研究による低学力層の英語力の実態と課題を論じるものである。英語教育方法変遷の中CLTが導入され、文部科学省が平成25年に発表した新たな英語教育の目標は、高校卒業時にCEFRがB1〜B2・英検2級〜準1級と高い水準である。しかし、目標と現実とは大きな隔たりがあると思われる。学習者の学びに対する意欲は高学力層だけにみられるものではなく、低学力層に対する教育方策こそ検討される必要があるといえよう。本研究では、低学力層の高校生を対象にした英語に関する意識調査後、CLT授業を実施し、学習意欲と習熟度との関連性の分析を行った。意識調査の結果、低学力学習者の多くは学習意欲が低いことが明らかになり、CLT授業でいくらかの学習意欲の改善と英語力の向上の可能性が示唆された。この結果を受け高等学校の英語教育の課題を論じる。



ブレイク作品にみる「植物的成長」

中山 文(近畿大学)

 ウィリアム・ブレイク(William Blake, 1757-1827)は晩年の1820年から1821年にかけて、植物学者でもあったソーントン(Robert John Thornton)の依頼を受けて、初めての木版画を制作するが、これと同時期に書かれた『エルサレム』(Jerusalem)において‘the Vegetative Man’、‘the Human Vegetable’や‘every Human Vegetated Form’など、人間をたびたび「植物」としてとらえている。これら植物の関連語はいずれも、「活気づける、活発にする」を表すラテン語に由来する。
 『エルサレム』は、アルビオンの流出である「エルサレム」が分裂と対立を繰り返す物語であるが、本発表では、上記の引用語句を通して、動物であり植物でもある人間が植物的成長をし、どのようにして分裂と対立を克服していくかを考察する。



ベン・ジョンソンの『錬金術師』にみられるhumourの意味と用法

石川 英司(日本大学)

 本発表は、ベン・ジョンソン(Ben Jonson, 1572-1637)の代表作の一つである『錬金術師』(The Alchemist, 1610)にみられるhumourという語に着目し、戯曲中で使われていると思われる意味と用法を分析し、ユーモア研究の一端とするものである。意味分析の方法としてOEDを基に、体液、蒸気、気質、気分、滑稽さの5つの意味区分を設け、作品中に使用される語であるhumourを、主に作品の文脈を考慮しつつ上記の意味区分へ分類した。『錬金術師』に十数年先立って上演された、『癖者ぞろい』(Every Man in His Humour, 1598)と比較すると、この語彙の使用頻度は低くなるものの、先に挙げた意味区分でみた場合、より多くの意味で使用されていることがわかった。両作品の比較考察を通して、humourという語を台詞で使う登場人物たちや、humourが使われる場面の描写の相違点と共通点、使用頻度の変化、意味と用法の変化を明らかにし、変化の背景について考察する。



ワークショップ

文学における植物をどう読むか−アメリカ・イギリス・カナダ文学と象徴−

塚田英博(日本大学)、君塚淳一(茨城大学)、田中浩司(防衛大学校)、
石塚倫子(東京家政大学)、佐野潤一郎(環太平洋大学)、間山伸(日本大学)

 今回のワークショップでは、文学作品において植物が象徴するものを分析することにより、作品の意味を探っていく。作品中の植物は単一の意味を体現しているのではなく、テクストとコンテクストとの狭間で、多重的な意味を帯びてくる。発表者が提示する意味内容に、フロアとの遣り取りを通して、新たなものが浮かび上がることを期待する。
 ケイト・ショパン、フラナリー・オコナー、マーク・トウェイン、ウィリアム・シェークスピア、チャールズ・ディケンズ、マーガレット・アトウッド等、アメリカ、イギリス、カナダと様々な国と時代の作家作品を取り上げながら、植物が暗示する象徴について考えていく。



大会担当理事 松谷明美 AkemiMatsuya(at)SES-online.jp




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